赤膚萩薬片口

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奥田木白作

奥田家は宝暦8年郡山堺町に住み、郡山藩の御用小間物商「柏屋」を名のります。
奥田木白は寛政12年に生まれた。幼名亀松、その後佐兵衛。元保元年31歳で柏屋を継ぎ武兵衛と称し、その屋号「柏屋」の柏の字を分けて「木白」とした。
天保6年から楽焼を始め天保10年に南都の重兵衛から上絵を習った。天保11年五条山中の窯に本焼を依頼し、東の窯にも依頼するようになった。
轆轤をひいたのは山口縫造と伝えられております。木白は陶芸家として同様に陶磁器問屋を家業とするに至りました。瀬戸、萩、唐津、高取、青磁、赤絵、南蛮等など内外すべての分野を研究し「諸国模物處」と看板をあげました。
陶器業は好評で、赤膚焼を全国に知らしめ、各種の焼物を焼成するために釉薬や土の研究を重ね、土の在所や釉薬の調合書も遺しています。
「萩薬」や赤膚焼の特徴のひとつである「並薬」は木白の研究によるものです。この片口の釉薬も木白が研究した萩薬で、土見在印です。
きつちりと赤膚山 木白の印がおされています。めだたないですが口縁に一か所山キズがあります。窯の中か入れる前にうけたものです。

江戸時代後期

高さ11cm 口径17.3cm

150,000円(税込)

※商品写真はできる限り実物の色に近づけるよう加工しておりますが、お客様のお使いのモニター設定、お部屋の照明等により実際の商品と色味が異なる場合がございます。